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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和49年(ネ)39号 判決

控訴人

茶木与四郎

控訴人

茶木ミサヲ

右両名訴訟代理人

石川実

沢田儀一

被控訴人

右代表者法務大臣

福田一

右訴訟代理人

中村三次

外二名

主文

原判決を取消す。

被控訴人は控訴人両名に対し各自金七五〇万円およびこれに対する昭和四六年一〇月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審を通じて被控訴人の負担とする。この判決は控訴人らにおいて仮に執行することができる。ただし、被控訴人において控訴人らに対し各三〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行をそれぞれ免れることができる。

事実《省略》

理由

一控訴人両名の子である訴外茶木高郎(以下高郎ともいう)は昭和四五年八月当時国立富山大学教育学部二年に在学中であつたが、同大学が原判決事実欄請求原因二(一)ないし(六)記載のとおりの要領で実施した昭和四五年度臨海水泳実習に参加し水泳実習中、同年八月四日午前九時四五分頃、富山県氷見市中波漁港入口中央付近で溺れ、同人の属していた第八班の指導教官であつた訴外山下三郎講師らに発見救助されたが既に仮死状態となつており、人工呼吸、酸素吸入などの手当が施されたにも拘らず、同日午後四時三〇分頃同市本町広瀬病院で死亡したことは当事者間に争いがない。

被控訴人は、原審において当初高郎が溺死した事実を認めながらその後その自白が真実に反しかつ錯誤に出たものであるからこれを撤回する旨述べるので、右自白の撤回の効力について判断する。

被控訴人は訴外高郎の死因は溺死ではなく心臓麻痺によるものである旨主張し、〈証拠〉には右主張にそう部分がある。しかし〈証拠〉によれば高郎は救助された直後の人工呼吸開始時に二回程口から泡を吐き、また死亡当日の夜から翌日にかけても高郎の口から肺から排出されたものとみられる大量の泡状の水分が出たこと、そのようなことを含む高郎の人工呼吸中の経過、死後の外表所見のいずれもが、高郎の死因を溺死と判断することと矛盾しないこと、高郎の死亡当時その左大腿部、左下腿部、特に腓腸筋部に硬く緊張した部分があることが認められ、これらを後記認定の本件事故発生時の高郎の状態とあわせ考えると高郎は水泳中左大腿部、左下腿部の筋痙攣を起しそのために溺水して、海水によつて窒息死(溺死)するに至つた蓋然性を否定できないことに照らすと、被控訴人の前記主張にそう証拠をたやすく信用できず、他に右被控訴人の主張にそう証拠はない。

従つて、被控訴人の前記自白が真実に反する点について立証あつたものとは認められず、右自白の撤回は許されないことゝなる。従つて、高郎が溺死したことについては被控訴人が自白したものといわざるをえない。

二〈証拠〉を総合すると、本件水泳実習の計画、内容、本件事故前後の状況等に関し次のとおりの事実が認められる。

1  本件水泳実習は、主として高郎ら教育学部学生に対し将来教員としての基本的資質となる水泳能力及び指導法、管理法、救助法、医事法などを身につけさせることを目的とし、履修者には三分の一単位が付与される正科の実習であつた。

2  富山大学教育学部においては同様の水泳実習は例年行なわれていたもので、本件水泳実習計画も同学部の実習計画主任であつた訴外田中久雄助教授が前年度の実習の実施要領を踏襲して起案し、関係教官において協議検討のうえ決定された。その内容は請求原因二(一)ないし(六)のとおりのほか、訴外頭川徹治教授、同田中久雄助教授、同山淵利文教授、同金子基之教官、同白川郁子教官外四名の教員が指導教官として参加し各教官が九班に分けた学生を一班ずつ担当して実習の指導を行なうとともに頭川徹治教授が総括担当者として全体の締め括りを行ない、その他の教官も衛生、内容、会計、炊事等の事務を分掌することとされていた。

3  本件水泳実習の行なわれた中波海水浴場付近の状況は原判決別紙図面記載のとおりであり、同図面では斜線で表示されている中波小学校設置の区画ブイで囲まれた水深最高一メートルの水域、その外側から沖合へ約一〇メートルの水域およびこれに接する中波漁港の内突堤先端付近から外突堤付近に至る帯状の水域が実習場と指定されていた。

4  救助対策としては請求原因三(一)の(1)ないし(5)の救命用具が原判決別紙図面表示の本部テントに用意され各班の指導教官が必要に応じて随時これを使用することとされていた。また、実習の第三日に予定されていた遠泳の際には近隣の体育専攻学生の水泳実習場からモーターボート三隻を回航して監視船とすることが予定されていたが、それ以外の実習時には監視船や監視台の用意はなされておらず、ただ予め和船一隻を借受け中波漁港の船着場(原判決別紙図面表示の位置)にけい留していたほか、地元の漁業組合や近隣の漁業従事者にも非常時の協力を依頼していた。従つて、右遠泳以外の実習においては各班を担当する教官が指導かたがた監視にあたるとともに、学生を二人一組にし相互に協力監視させるパデイシステムによつて学生相互の監視体制も作られた。しかし、指導教官は全員がそれぞれ班の指導監督を担当していたのでとくに充分な泳力を有し救助法を体得した専門の監視員はおかれず、区画ブイの外へ出ている班がある時は近くにいる他班の指導教官はその班にも気を配るという一般的な了解が暗黙のうちになされていた程度であつた。さらに、事前に本件実習場近くの開業医清水久之医師および富山大学教育学部の校医石田礼二医師に依頼して協力を求めていた外、看護婦三名を同行して学生の健康管理、及び非常時に備えていた。

5  富山大学教育学部では本件水泳実習に参加する学生に対しオリエンテーションを開き実習実施要領を配布説明するとともに、石田校医による健康診断を実施し、高郎も昭和四五年七月八日同校医の検診を受けたが何ら異常はなかつた。また、実習参加の学生から泳力等について調査表を提出させたが、高郎は泳力を平均約二五メートルと記載していた。大学側では学生から提出された調査表をもとにして主に水泳能力を基準にして参加学生を九班に分け、高郎は上位から二番目の第八班に配属されることとなつた。本件水泳実習の初日である昭和四五年八月三日には実習参加の学生全部に泳力テストが課せられ、その結果により班分けの修正が行なわれたが、高郎は第八班所属にかわりなく、同人を含む第八班所属の女子八名男子五名の学生はいずれも五〇メートルないし一〇〇メートル以上の泳力があるものとされていた。高郎は第八班所属の学生の互選により同班の班長に選ばれたが、その職務は主に教官と班員との事務連絡にあり、水泳実習中は他の学生と異なる義務を負うものではなく、精神上肉体上特別の負担はなかつた。

第八班指導の教官は訴外山下三郎教官であつたが、同教官は昭和三四年三月富山大学教育学部保健体育科を卒業するまで在学中四年間にわたり水泳実習の単位を修得し、卒業後も県内各地の小、中学校の教員として勤務するかたわら富山大学教育学部の非常勤講師として約一〇年間水泳実習の指導にあたつた経験を有し、水泳指導能力、救助能力とも優れた教官である。

6  本件水泳実習の初日には前記泳力テストが行なわれたほか、各班毎に区画ブイ内で基礎泳法の訓練が行なわれたが、第八班においては水中におけるコムラガえりの回復措置についても指導がなされた。

7  本件事故当日である同年八月四日は午前九時から各班毎に学生が自主的に準備運動を行なつた後実習に入つたが、当日の気象条件は伏木測候所における午前九時の観測によれば天気くもり、南西の風毎秒5.3メートル、気温二九度、実習場付近の海象は折から干潮時で、やや波があつたが、水温は温かく、水温の急変や潮流もなかつた。

高郎の属する第八班は山下教官の指導のもとに区画ブイの内側で約三〇分間平泳の練習をした後、実習計画のとおり翌日に予定されていた遠泳の基礎練習として隊列を組んで泳ぐとともに、背の立たない所を泳ぐ不安感、恐怖心を除去し、自信をつけさせることを目的とする練習に入り、区画ブイの沖側へ出て四列縦隊、すなわち、先頭の四名と次の四名が女子、次の四名が男子、最後尾にサブリーダー格の学生訴外笹岡幸雄が続くという隊形で区画ブイの沖側を楕円を描くように一周約一〇〇メートルの準備遊泳をした。山下教官は立泳ぎに近い背泳で隊列のさらに先頭を泳ぎながら班員の行動の観察把握につとめたが、右準備遊泳の後精神的に脆いと見られた女子学生二名の位置を変更した。そして、右のような変更の行なわれた隊列を整え、学生の身体状況に異常のないことを確認しながら、区画ブイの外側から外突堤の先端付近へ向つて水中歩行を始めた。山下教官は第八班の学生を同所から外突堤の先端からやや港内よりの地点まで隊列を組んで泳がせる予定であつたが、水中歩行開始地点から右地点までは約五〇メートルのコースであり、その間外突堤より約一〇メートルの手前辺は二メートルないし2.4メートルの水深で背の立たない深みとなつていた。

山下教官を先頭とする第八班はさらに外突堤に向つて約一〇メートルないし二〇メートル水中歩行した後、すでに先行し、右コースを泳ぎ渡つていた第九班に続いて隊列を組んだままで残りの約四〇メートルないし三〇メートルを平泳ぎで泳ぎ始めた。この時、高郎は第三列目の中央の二名のいずれかの位置にいた。泳ぎ始めた直後女子学生一名が隊列をはなれて区画ブイの方へ歩行して後戻りし、また、途中さらに一名の女子学生が前記サブリーダー格の笹岡幸雄に誘導されて内突堤の先端へ泳ぎ帰つた。

8  山下教官は先の準備遊泳の際と同様隊列の先頭を班員の状況を観察しながら進んでいたが、外突堤まで約五メートルの位置に達したとき、後方の高郎の横にいた学生が手をあげて異常を知らせる合図をしたので約一〇メートル泳ぎ戻つて高郎のそばへ行つた。

9  この間、高郎は水中に立つような姿勢で抜き手のような動作や背面浮き身を、二、三繰返したので、山下教官は同人が精神的に動揺して呼吸を乱しているものと考え、これを援助するため同人の腋の下へ手を入れて体を持ち上げるようにして支えたところ、急に同教官の上体にしがみついて来たのでいつたん高郎から離脱したうえ、高郎を自らの肩に後ろからつかまらせながら腕を伸すように指示し、同人を背負うような型で曳行しようと試みたが同人の体が水平になるや否や腰にしがみついて来たので、同教官は高郎から離脱し、同人を溺者として扱うことにした。そして、同人の後部に回つて同人の首を支え下半身を浮かせてやりヘツドキヤリーの救助体制に入り高郎を外突堤の方へ引ぱつて行こうとしたが、間もなく高郎は体を反転させて同教官に三たびしがみついてきたため同教官自身海水を一、二回呑んだ。そこで同教官はとつさに外突堤上の少年が使用していた長さ約三ないし四メートルの釣竿を投げ渡すように声をかけ、外突堤上にいた学生からこれを受取り高郎に差出し、高郎がこれにつかまつたのでこれを曳きはじめたところ、当初水中に立つた姿勢であつた高郎の体が水平になつたころに高郎は竿から手を離して海中に沈んでしまつた。そのため、同教官は高郎を見失い海中の高郎を捜すため一たん外突堤先端の岩礁に上つた。

これより先、外突堤に泳ぎついた第九班の学生と第八班の学生は高郎の異状と山下教官の動きに気付き大声をあげて救助を求めた。また、原判決別紙図面A点付近にいた田中助教授は他の学生からおしえられてクロールで高郎の遭難地点へ急行し、潜水して海中に沈んでいる高郎を発見したが息が続かず高郎をひきあげることができず、息を継いで再度潜水したが高郎は後記のとおり山下教官が引揚げていた。また、中波漁業組合事務所と船庫の中間で漁網の修理をしていた漁夫訴外萩原定雄も前記学生らの叫び声を聞いて異常に気付き内突堤の先端まで走り、先端から海中に飛び込んで遭難海面まで泳いで急行したが、同漁夫が到着した時は後記のとおり山下教官がすでに高郎を海面へ引揚げていた。さらに、前記図面記載の本部テントに居合せた頭川教授外二、三名の教官も前記学生の声を聞いて異常に気付き、頭川教授は内突堤の先端へ駈けつけ、他の者は折から漁網の修理中に事故突発に気付いた漁夫訴外久雄が、前記図面記載の船着場から漕ぎ出そうとしていた伝馬船(ただし大学側が予め借上げてあつた舟ではない)に乗り込んで遭難海面へ急行した。右伝馬舟が遭難現場へ到着した時、山下教官は前記のとおり訴外高郎を見失つて岩礁上から海中の高郎を捜していたが、高郎を右伝馬船上から発見できたので、山下教官は船上からの指図で海中に飛込んで高郎を海面へ押上げ、これを田中助教授、萩原定雄らも手伝い、ついで右伝馬船上へ高郎を引揚げることができた。

右の次第で、山下教官が高郎の異常に気付いてから高郎を右伝馬船上に引揚げるまでの経過時間は正確にこれを認定できる証拠はないが、同教官が異常に気付いてから高郎が釣竿から手を放して沈むまでは約二分ないし三分間、同人が沈んでから伝馬船上に引揚げられるまでも約三、四分間程度と推認される。

10  高郎が右伝馬船上に引揚げられた直後からニールセン式の人工呼吸を開始しこれを続けながら船着場に到着し、間もなく連絡を受けて駈けつけた清水久之医師の診断を受けたところ、既に呼吸、脈はく停止し、心音もなく、瞳孔は散大し、肛門も開いた状態であつたが、なおマウスツーマウス法に切替えて人工呼吸を継続し、午後二時五〇分頃救急車で氷見市の広瀬病院へ移送したが午後四時三〇分頃同人の死亡が確認された。

11  高郎の属した第八班が前記7のとおり外突堤に向つて隊列を組んで遊泳を開始した時点での監視救助体制についてみると、前記4に説示した一般的体制の外次のとおりであつた。

すなわち、当時区画ブイの沖側で泳法練習をしていた第五班の指導教官である田中助教授は第八班が外突堤へ向う旨の合図を山下教官から受けて原判決別紙図面のA点付近の海中(水深一メートルないし1.2メートル)に立つて第五班の練習を監視するかたわら約五〇メートル離れた外突堤へ向う第八班の遊泳を見ていたが、前記のとおり第五班の学生に告げられてはじめて異常に気付き救助に向つた。同助教授はスイミングヘルパーを実習場へ持出していたが、これは区画ブイに結びつけてあり、また、区画ブイ内にはスイミングボードが何枚か浮いていたがこれらを取りに返る余裕もなく、急行しそれらの用具は高郎の救助に使われなかつた。また、第八班より先に外突堤に泳ぎ渡つた第九班の指導教官の山渕教授は浮輪を二個携えていたが、同人は翌日の遠泳の目的地の見える外海へ出ていたので、山下教官が高郎の救助に手こずつていることには気づかず初動の救助に参加することなく、携えていた右浮輪も救助の用に供されていない。

そして、本部テントには指導担当の班を休憩で退水させた教官および看護婦がいたが、特に第八班を監視しているわけでもなく、学生らの叫び声ではじめて異常に気付き救助に向つた。

さらに、第八班においては他の班と同様基礎泳法の訓練の間はバデイシステムが採用されていたが、遠泳のため隊列を組んで泳ぐ練習に入つてからはバデイシステムはとられていなかつた。

なお、〈証拠〉中には、第八班が外突堤へ向つて泳ぎ始める前に山下教官から外突堤上の山淵教授に連絡し、同教授が第八班の遊泳を監視していた旨の部分があるが、右部分は、〈証拠〉に照らしてたやすく信用できない。また、〈証拠〉中には第八班においては外突堤への隊列を組んでの遊泳の際も学生にバデイシステムによる相互監視をさせていた旨の部分があるが、右部分は〈証拠〉に照らしていまだ信用できない。その他、〈証拠〉中前記1ないし11の認定に反する部分は冒頭に掲げた各証拠に照らして信用できない。

三以上の事実に基づいて、被控訴人の責任について判断する。

1 まず、控訴人らは国家賠償法第一条に基づき損害賠償を請求するのに対し、被控訴人は、学校教育に従事する公務員は「公権力の行使」にあたる公務員ではなく、かりに国家賠償法第一条にいう「公権力の行使」には非権力的作用を含むとしても、大学における大学教授の教育活動は大学の特殊性からして同法条にいう「公権力の行使」にあたらないと主張するので検討する。

国家賠償法第一条にいう公権力の行使とは、狭く国又は地方公共団体がその権限に基づき優越的意思の発動として行なう権力作用のみではなく、国又は地方公共団体の作用のうち、純然たる私経済作用と同法第二条の適用を受ける営造物の設置管理作用を除くすべての作用を指し、いわゆる非権力的作用を含むものと解するのが相当である。国公立学校における教育関係についてこれをみるに、児童、生徒、学生の入学許可、退学処分等の在学関係を形成変更する処分はもとより、授業、実習等狭義の教育作用においても学校(およびこれを設置する国、地方公共団体)と児童、生徒、学生又はその父母とは全く法的に対等な立場にあるわけではなく、また、学校のなす教育作用と生徒学生の負担する授業料が対価関係にあるものでもなく、国公立学校における教育関係を純然たる私経済作用と目することはできず、国家賠償法第一条にいう「公権力の行使」にあたるものと解するのが相当である。なお、大学における教育作用については、大学教官は学問の自由を保障され、その研究成果を教授する自由をも保障されており、これを担保するために大学における人事、施設学生の管理について大学の自治が認められていることは被控訴人の主張するとおりであるが、学問の自由および大学の自治は国の大学、教官及び研究者に対する管理監督関係を律する原理であつて、大学と学生の間の教育作用の前記のような性格をも左右するものではない。

本件水泳実習が富山大学における正科の教育課程の一部であつたことは前記認定のとおりであつて、本件水泳実習における教育作用は国家賠償法第一条にいう「公権力の行使」にあたるものと認めるべきである。

2 ところで、水泳はその性質上たとえ水泳に練達の技術を有する者が泳ぐ場合であつても水中において泳ぎを継続し難い肉体的、心理的事故が発生した場合には泳者の生命が危険にさらされるものであり、ましてや未熟の泳者が泳ぐ場合にはその者が成人であると子供であるとを問わず、その危険性は飛躍的に増大するものであるから、大学教育において水泳実習を企画、実行する教官は、事前に参加者の健康診断を行ない、実習場およびその周辺の水中の状況、危険箇所の有無を調査してその対策を講じ、その指導内容、方法も参加者の能力に応じた危険の少ないものとすることは勿論、予定されている実習内容の危険性に応じて万一の事故に備え、遭難者の発見のため監視体制、遭難者の救助のための救助体制を整える義務を負うものと解するのが相当である。

これを本件についてみると、本件実習においては第三日目に泳力上級者の班は遠泳を行うことが予定され、そのため前日の第二目には一〇名を越える班員が隊列を組んで泳ぐとともに、短距離ではあるが背の立たない箇所を泳いで不安感、恐怖心を除去し自信をつけさせる遠泳基礎練習を行なうことが予定されていたのであるから、本件水泳実習の企画、実行にあたる教官としては、遠泳基礎練習の際には背の立たない箇所のあることに留意し、少なくともそれを実施する班を直接指導する教官の外に充分な泳力と救助技術を有するいわゆる水際監視員に当る教官を定め、実習中の各班員の状況を把握せしめ、事故発生の場合は直ちに救助を開始できる位置に配置するとともに、救助用具も必要に応じ直ちにこれを使用できるよう担当者をきめて適切な位置に右用具を配置する等の監視、救助のための体制を整え、これを実行する義務があつたものであり、本件事故発生当時本部テントに数名の教官がたむろし、区画ブイそばのA点付近に田中助教授がいたことに照らせば、予め充分に実習計画を検討し、各班の実習時間、休憩時間を調整すれば、実習に参加した指導教官を増員するまでもなく、九名の教官で交互に分担することにより、前記のような最少限の監視、救助のための措置を講ずることは充分可能であつた。

しかるに、実習に参加した教官の間では区画ブイの外へ出ている班がある時は近くにいる教官はその班にも気を配るという暗黙の了解があつた程度であり高郎の属していた第八班が山下教官の指導のもとに外突堤に向つて泳ぎ始めた当時の監視体制は同班指導の山下教官を別とすれば、田中助教授が高郎の遭難地点から約四〇メートル位の距離の水中に立つて自己の指導する第五班の指導監督がてらに第八班の遊泳を監視していたのみで、同教官は外突堤上の学生の騒ぎを感知した第五班の学生から告げられてはじめて異常に気付いた次第であり、その他、泳力と救助技術に優れた補助者や監視員は適切な場所に配置されておらず、各種の救助用具も直ちに使用できる状態で配置されていたとはいえないことは前記二説示のとおりであるから、本件水泳実習の企画実行にあたつた富山大学教官には第八班の遠泳基礎練習の際に必要な最少限の監視、救助体制を整えるよう実習計画を策定せず、これを実施しなかつた過失があると解するのが相当である。

なお、本件水泳実習の企画を策定し、実施する責任者は必ずしも明らかではなく、総括担当者である頭川教授がその地位にあつたものと推認することができるが、かりにそうではないとしても、同教授を含む富山大学教育学部の体育教官らがその責任者であつたことは動かし難いところである。

3 被控訴人は、人は成長につれ注意力、判断力、自主的活動力が増加するから、満二〇才を越えた大学生の水泳実習においては小学校、中学校、高等学校における場合と異なり、学生の生命身体に危険を生ずる事故の発生が客観的に予測される場合にこれを未然に防止する措置を講ずれば足りると主張する。

なるほど、成人に達した大学生と小学校の学童とでは、体格、体力、ならびに注意力、判断力等の精神的能力において格段の差があるから、学童には危険な深みでも大学生は背が立ち、学童が疲労困憊する運動でも大学生は耐え得ることもあろうし、背が立つ浅瀬や海浜など随意に行動ができる場所においての命令や禁止への服従や自主的行動についての信頼可能性は大学生においては高度であるから、水泳実習に際してはそのことを前提として企画実施することが許されるであろう。しかし、水泳能力や背の立ない深みにおける遊泳中の事故の危険性は大学生であろうと学童であろうとちがいはないのであつて、泳力においては学童に劣る大学生が数多くいるのであろうことは容易に推測されるところである。

また、大学における水泳実習の場合一般的には大学生相互の監視、協力体制に、学童相互のそれよりも高い信頼を置きうるであろう。しかし、それも相互監視体制の中にある学生の能力や、場所、場合によつてその信頼度に差があることは当然で、学生各人が充分な泳力と救助技術を有している場合と未熟な場合、海浜、浅瀬等各学生が随意の行動をとりうる場所と深みとでは自ら信頼度に差があるであろう。本件事故発生当時、高郎の所属する第八班ではバデイーシステムが維持されていなかつたことは前記認定のとおりであるが、かりにそれが維持されていたとしても、五〇メートルないし一〇〇メートルの泳力しか確認されておらず、外突堤までわずか三、四〇メートルの集団遊泳中に高郎以外に二人が脱落し、隊列が乱れる程度の能力しか有しない学生の相互監視が、充分な泳力と救助技術を有する補助者や監視員に代替しうるものとは認められない。

従つて、本件水泳実習が大学生を対象とするものであるからと言つて、水泳実習の企画、実行にあたつて本件事故発生時のような状況に対する注意義務が軽減されるものではなく、被控訴人の主張は採用しがたい。

4 さらに、被控訴人は、かりに監視台をもうけ、監視船をくり出していても高郎の水没時間を短縮することはできず、本件事故の発生を防止することは困難であり、また、高郎がコムラがえりを起し死亡したことは不可抗力であつたと主張するが、もし本件事故発生時に外突堤上等適切な位置に監視員と救命具が配置されていたならば、監視員は山下教官が高郎の異常に気付いたのと前後してこれに気付き山下教官と協力して高郎を水没させることなく救助することは充分に可能であつたものと認められるから、右主張は採用できない。

5 以上のとおりであるから、本件事故は国の公権力の行使にあたる富山大学教育学部教授頭川徹治の本件水泳実習の企画、実行の職務を行なうについての前示のような過失によるものであるから、さらにその余の責任原因について判断をすゝめるまでもなく、国はこれによる損害を賠償すべき責任がある。

四そこで、本件事故による損害について検討する。〈以下、省略〉

(西岡悌次 富川秀秋 西田美昭)

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